kazki//okadaの備忘録

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「東大助手物語」中島義道

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哲学博士、中島義道さんの東大助手時代を語るエッセイ。東大助手時代の過酷な日々、助教授の職を得るまでを綴っている。大学や研究職についての実際が中島さんの視点で記されている。人は主観を離れることはできないので、あくまで中島さんから見た世界かもしれないが、建前や欺瞞が文章から感じられなかった。これもあくまで私個人の視点ですが。

大学に限らず、社会において、くだらない習慣、くだらない人物は実際存在するな、と個人的に感じている。本書で語られる糟谷教授のような権威的で世間体を気にする高圧的な小物は存在する。実際私もそのような人物と遭遇したことがある。遭遇どころかそのような人物の下で働いていたことがある。従業員は皆辞めてしまっていたので私一人で働いていた。自分と同じ状況というわけではないが糟谷教授とその夫人から攻撃を受ける場面はリアリティをもって自分に迫ってきた。雇用してくれた「恩人」だったという点もよく似ており、状況は違うだろうけど勝手に共感しながら読み進めていた。ただ、大きく違うと感じた点は私と中島さんの姿勢の違いである。よりよい次の職場を見つけるまで逃げなかったのは自分もそうであるが、自分は軽蔑しつつも過剰に低姿勢で卑屈な態度で耐え続けた。自分を曲げ不条理なことにも引きつった笑顔で対応した。まぁ、自律神経おかしくなってからは不条理でも何でもない普通のことすらろくにできなかったのでその点は本当に自分が悪いなと反省しているのですが。戦うことは一切しなかった。自分の誇りを守ることも一切しなかった。ただ最善と思われること、自分を曲げても、自分に有利に働くように思われる行動を選択しようと心がけた。本書で登場する中島さんの奥様の態度と非常によく似ている。今考えるとこの失礼な考え方が卑屈な態度の奥底から滲み出ていてそれが相手をさらに苛立たせたのかもしれない。中島さんの相手に対する尊敬の無さが態度に出ていたかもしれないという描写が、ああ、自分もそうだったのかもしれないと思わせる。中島さんは最終的に、いや、最終的だけではなく、戦っているなと感じた。いろいろな葛藤はあるにせよ戦っているという印象を受けた。自分の感情からも目を背けない姿勢がかっこいいと感じた。かっこいい、というか、自分もそのようにありたいと感じた。そんなことはないだろうけど、万が一、この文章が本人の目に触れた場合、文章のまずさも相まって本当に嫌がられるでしょう。それはいいとして、難しいとは思うけど、またいつか同じような状況になった場合、あらゆるものから目を背けず毅然とした態度でのぞみたいと思った。だからこそ、本書のラストは自分にとって希望に満ち溢れている。高圧的な小人物は周りからそれなりの評価であったことが明らかとなり、周囲には助けてくれる人々が存在する。これは息苦しい社会に存在する希望である。自分の話をたびたびだして申し訳ないが、そこは自分も同じだった。攻撃的な小人物は、あの人はそういう人だから仕方ない、と思われており、そして周りの人々は優しくしてくれたし助けてくれた。いま似たような苦境にある人にこそぜひ東大助手物語を読んでほしい。ここに書いたこと以外にもたくさん得るものがあると思う。感情的になってしまい文章がむちゃくちゃになってしまったことをお詫びします。

東大助手物語 (新潮文庫)

東大助手物語 (新潮文庫)