kazki//okadaの備忘録

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「「死」とは何か」シェリー・ケーガン

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義

まず先に言っておくべきことは、この日本語訳の著作が原書の縮小版であるということである。そのためか良くも悪くも入門書という性質を持っているように思える。原書は読んでいないので何とも言えないが、それを踏まえた上でレビューしていきたい。

 

まず全体的に丁寧で入門書としてはわかりやすい。一般的思考に寄り添って話が進んでいく。一つ一つの議論が丁寧で具体例もあげられており親切である。

しかし、議論が深まっていくにつれてしっくりこない部分が多く出てくる。

まず死の恐怖についての部分で全然納得できない。恐れの三要件、これがしっくりこない。対象が悪いものであること、それが起こる無視できない可能性があること、そこに不確定せいがあること、これが要件としているが、個人的にはピンとこない。たとえば、注射を怖がる人がいるが、それは不確定性の要件を満たしていないし、無視できない可能性があるというのも満たしているとは言えない。その恐れは理にかなっていない、とするのだろうが、理にかなってなくても矛盾があっても事実そこに恐怖が蠢いていることはあるように思われる。恐れの定義の問題につながるかもしれないがそうなってくると今まで何のために世俗に寄り添って話を進めてきたのか?と思ってしまう。エピクロス的に死んでいる状態を恐れるのは理にかなっていないとしているが、感覚に反する。未知ゆえに恐ろしい、わからないというのが恐怖の源泉になっている場合が想定されていない。論理的におかしいところがあるかはわからないが理由なき恐怖を軽視しすぎているし、それをカバーするような素晴らしい意見はこの本からは見出せない。仏教についての記述もいい意見には思えない。一般読者に向け、わかりやすく大雑把な表記をしているかもしれないが誤解を招く文章である。仏教を悲観主義のように書いているが自分はそう思わない。仏教は人生を悪いものと捉えることで喪失の苦痛を克服するもののように書いてあると思われるが果たしてそうだろうか。善悪、主客などの偏見から脱却することこそ仏教で説かれていることではないだろうか。何をもって仏教とするかでだいぶ変わってくるかもしれないが。ただ仏教を単なるペシミズムのように捉えられるような文章だと思われたので、そこは違和感を拭えなかった。全体的に丁寧だけど深い考察を感じさせない。なるほど、と新しい考えを与えてくれる部分が自分にはあまりあるようには思えなかった。全体的に挙げられた要件や具体が少し偏っていたり何か欠けているように思えた。俗っぽい、素朴実在論に基づく意見のように思えてしまう、自分には。死について考えるきっかけを与えてくれるとは思うがあまり大きなヒントが得られる本ではないと自分には思われた。

内容に関して悪い評価を並べているが書物としての価値は評価している。そもそも死について扱っている書物は多くないし難解なものが多いように思われる。この本は死について考えるきっかけとして非常に優れていると思われる。ある程度、死について考えたことがある人には何か与えてくれる内容かどうかはわからないけど今まで考えてこなかった人にはすごくおすすめできる。何か明確な答えのようなものもないし、内容としてもすごいことが書いてあるわけじゃないと思うけど入門書としては大きな価値があると思う。