kazki//okadaの備忘録

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「仏教の大意」鈴木大拙

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日本の仏教学者、鈴木大拙の本。禅を中心に仏教のエッセンスが語られた本。入門書のような雰囲気もあるけど決してそうではない。いきなりこれを読んで理解できる人は多くはないと思う。

仏教、禅における非常に重要な部分が説明されているように思える。しかし、自分は勉強不足が故に理解が追いつかない部分が多い。ただ全く理解できなものだなというものではなく、勉強すれば理解できる部分は出てくるはずだと感じた。

AはAでありAではない、というと一見めちゃくちゃなことを言っているように思われるが、事象によっては当たり前のことだったりする。あまりいい例えは浮かばないが試みる。例えば、海は海であるが海ではない、とただ言われると意味不明である。しかし、コップに掬った海の水を見せられ、海(の水)は海(の一部分という意味では)であるが海(全体として捉えた時の海)ではない、と言われるとなんとなく言わんとしてることがわかる気がする。取り扱うことが、言語化に適さないことだとしたらこれ以上に理解している人には当たり前のことでも理解していないと意味不明または矛盾した内容になってくると思われる。そういう意味でも勉強すればわかるように、または体験すればわかるようになるかもしれないと読んでいて感じた。

我は我であり我ではない、ということや、個は全であり、全は個である、などということも、ある境地までいけば当たり前のことになるのだと思う。

一即全(一は全である)、自即他など西田幾多郎のベースに禅があることも感じられた。

我としての自己を離れることで、より大きい自己を自覚することができるというニュアンスは禅からきているという風に強く感じた。

深く考察せず読んでしまったので正直掴みきれていないが個人的に吸い取ったものとしては、

 

二元対立から離れる

個としての狭い自我を離れる

分別差別から離れる

 

ここに大切なものがあると感じた。

もう少し勉強してから改めて読み返す必要があると感じた。