kazki//okadaの備忘録

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「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」飲茶

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格闘漫画バキの要素を取り入れた哲学の入門書の第二弾。今回は東洋思想を扱ったもの。前回同様、哲学者にバキ的なキャラ付けをしわかりやすく楽しく哲学を学べる素晴らしい著作。個人的には西洋編より驚きが大きかった。あまりの素晴らしさに。

本書は説明が難しい東洋哲学をわかりやすく説明しているのだが、重要なのは細かい人物の紹介ではなく東洋哲学のエッセンスというか大事な部分というかそういう部分を感じさせてくれるところ。これまでの入門書では各人がどのような思想を持っていたかをざっと把握できるという雰囲気だったが本書はそこはある程度押さえながらもさらに大事な部分を教えてくれる。

まず、東洋哲学というのが内向きにどんどん潜っていくものであるということ。雑な言い方をすれば、自分とは何か?自分はどうすべきか?という方向性の問いを突き詰めていくというもの。西洋哲学は実存主義のあたりまでは基本的には自分を起点に世界や社会、外向きに広がっていくようなものが多かった。それに対して東洋哲学は自分とは?自分の捉えてる世界とは?と、自分の内面に向き合うことで世界と向き合うようなものが多い。言われてみれば当たり前のことだがそれに言及している入門書は見たことがなかった。あったのかもしれないが、それはまえがきやコラムといった添え物程度の扱いであった。しかし、このことが実に大事であるということに気付かせてくれた本書は自分にとってすごくありがたいものだった。

そして、もう一つの点として東洋哲学においては体験が重要であるということ。理解、理屈だけでは本当に知ったということにはならないということ。これも当たり前のことであるが重要なことである。本書においては耳フェチの例を出して大変わかりやすく説明している。耳フェチでない人間から理解しやすい形で述べられているので非常にわかりやすいが安直にしか捉えられない人間からすれば他人事のように捉えられてしまう部分もあるので、この耳の部分を自分の性的嗜好に当てはめて考えると悟っている側、悟っていない側の感覚がなんとなくわかるのでどちらも試してみてもらいたい。逆に耳フェチの方は耳以外のよくある感覚的に理解できない性的嗜好を当てはめてみていただきたい。あまりよくないかもしれないがわかりやすい具体例をあげてみよう。例えば女性の胸をみた時、あれはただの脂肪の塊であって何物でもないと発言するとする。一人は頭でそれが間違っていないことを完全に理解しつつもギンギンに勃起しており、もう一人は触っても何も感じず余裕の表情でもちろん勃起などしていない。同じ理解している状態であってもそれは天と地の違いである。前者は理解しているが理解していないと言える。性的興奮だけでなく知識全般においてこのことは当てはまる。例えば幽霊の存在。存在するかどうかは置いておいて、おばけなんかいるわけないじゃん、と言いかつそれを本当に信じていたとしても心霊スポットにおいて脚が震えるという人もいるだろう。感情的になっても仕方がないし、良いことなど何一つないと常日頃思っていても何かあった時ブチギレて怒鳴り散らしてしまう人もいるだろう。このような日常的なものでけではなく思想の領域においても同じことがいえる。諸行無常、この世に変わらないものなどないし、自分もまた固定された不変の存在ではないと思っていても、さも自分がずっと存在するように利己的な振る舞いをしてしまったり。倫理的にすべきではないと理解していても嘘をついたりしてしまったり。いろいろ例をあげたが、このような形で本質的な部分をわかりやすく伝えてくれる本はこれまでなかった。

これらのように重要な部分を押さえつつ、他の入門書同様、各人がどのような思想をもっていたのかという大きな流れも理解できる実に素晴らしい本であった。ここにあげただけでなく東洋思想史の流れや各思想のつながりもわかりやすく、しかも楽しく学べる素敵な本。前作以上に感動の多い本であった。誰かに入門書を薦めるなら「史上最強の哲学入門」の西洋と東洋、必ず2冊セットで薦めたいと思う。