kazki//okadaの備忘録

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「無[Ⅱ]無の哲学」福岡正信

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自然農法家、福岡正信さんの書。福岡さんが哲学について論じたもの。ベースにある思想は無[Ⅰ]と同じものである。基本的な主張も同じものであるが、より哲学に踏み込んでいる。

この書から学ぶべきことは多い。その中でも一番感銘を受けたことは、先人の知恵を考察や批判をすることで自分の考えを知り発展させているという点である。これは、ただ知識として吸収するより有意義である。

この書の私と意見が大きく違う点は子供についてである。子供は本来善きものであり余計な教育が目を曇らせる、という趣旨の文があるが、私はそうは思わない。子供の主客未分状態は揺らぎやすく危ういものに思われる。主客未分と主客合一は似て非なる状態である。未分状態は容易く影響を受ける。合一状態は揺らぎを知ったうえで辿り着いた境地である。一度、分解して憂き世を見た上で修行や研究により合一を目指すべきだと思う。本当に無知では自らの無知も知り得ない。

本による知識も不知昏迷へ誘うものであるとしているが、これも意見が異なる。現在の社会環境を考えると無為自然に育つことなどあり得ないといっても過言ではない。つまり未分状態のまま生きていくことは無理に等しい。そうであるなら徹底分解した上で無知を自覚、そこから各々の方法で合一を目指すべきである。その他の主張は概ね同意できるし、学ぶべきことが多々ある。多少の偏見や独断はあるように思えるが現代社会において大変貴重な書物であると個人的には思う。

芸術についても、所謂覚者には無用の芸術であっても俗に生きるものには覚界に近づくための重要な手段になると思われる。そして、それはいくつかある必要なプロセスの一つではないかと思う。重要なのは自己陶酔、自己満足をせず見える時を待つことではないかと思う。真なる自己に近づくための芸術こそが必要であるとは思うが、その過程において既存のあり方の芸術を通ることは必然だと思われる。

無[Ⅰ]に比べて少し踏み込んだ内容であり、少し難しい。が、より細かく論じられている。次巻においてはさらに具体的に自然農法について述べられているようなので引き続き読んでいきたい。

無〈2〉無の哲学

無〈2〉無の哲学