kazki//okadaの備忘録

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「シメジシミュレーション」つくみず

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全5巻。ものすごい名作。つくみず先生の少女終末旅行の次の作品。

 

少女終末旅行が大名作(一番好きな作品といっても過言ではない)だったので、期待せずゆるーい気持ちで読み始めた。

 

序盤の方は、少し不思議な雰囲気の世界の日常を描いた作品という印象。会話や登場人物がすごくよくて癒されつつ、考えさせるようなパーツのようなものがところどころに散りばめられていた。

 

前作がすごい作品だったから今作はゆるーく、でも重要な鍵だけは残しておくぐらいの雰囲気で進むのかなと思っていた。しかし、話が進んでいく中でどんどんの深化していき、これは哲学的なテーマを持ったゆるい雰囲気を纏ったゴリゴリのSFだなという印象に気付けば変わっている。

 

最終巻に近づくにつれ、もはやゆるい雰囲気などなく緊迫感の強いSFになっていき、散りばめられていた鍵のようなものが中心になっていき、むしろ、可愛らしさやほっこり感の方がたまに感じられる程度に残るようになっていく。

 

最終的には、テキスト、関係、神話、世界、そして、その根本たる存在について、読んだ人が改めて考えざるを得ないぐらい厳しく問題提起される。

そこには読み始めた頃のほわーとした日常はなく、世界の危うさ、儚さ、不確かさ、寂しさなどがまるで自分が体験しているかのように頭の中に展開されている。

そのようなある意味、絶望的な雰囲気の中、一点だけの希望の光が微かながら煌めいている。そこは少女終末旅行と共通しているかもしれない。

 

かわいい絵柄、素敵な世界、微笑ましい会話ややりとり、から入り、自分自身に置き換え、改めて、世界、存在、生命などについて考えさせるつくみず作品は哲学の蟻地獄みたいで素晴らしい。自分の主張を押し付けるのではなく、思考のきっかけを生み、自分もまた考えるような雰囲気があり本当に素晴らしいと感じる。

あとがきにて、少女終末旅行が物質的に極限まで制約された世界であるのに対し、本作は飢えることなくなんでもあり得るのに漠然とした世界であるとありましたが、どちらも共通した存在の覚束なさがあるというような言葉があった。読んだ印象もまさしくその通りで、0に向かっていくことと無限に向かっていくことは、無限に向かっていくことであり0に向かっていくことであると感じた。全肯定は全否定であり、全否定は全肯定である、というようなものと同じような感覚。

実際の我々の生きる世界もこの二作品と同じで無限に失っていき最終的に何もなくなる可能性もあるし、なんでも起こり得るがゆえに何一つ存在しないのと同じになる可能性もある。というより、実際すでに何も永遠には所有できないし、何一つ絶対的に可能性を否定することはできない世界なのである。明日全て壊れてもおかしくないし、明日全て虚無だったことが明らかになってもおかしくない。

当たり前なのについ忘れてしまう重要なことを改めて思い出させてくれる少女終末旅行、シメジシミュレーションは本当に多くの人に届いてほしいと思う名作だ。

つくみず先生本人はなかなか満足のいかない点もある旨、あとがきに書いてあるが個人的にはすべて思い通りなってないことがまた作品の深みに繋がっているのかもしれないとも思った。

 

読み終わったばかりで興奮冷めやらぬ状態なのでしっかりと身体に落とし込めていないので改めて何度か読み直す必要がある。改めて読んだ上でもう一度頭と身体に落とし込んでいきたい。

 

余談ではあるが、前作の主人公によく似た(もしかしたら同一人物)二人がいて、もし前作の世界から今作の世界に来たとしたら、何もない世界からなんでもあり得る世界に移動してて面白いなと感じた。単純に好きなキャラクター(特にチトの方)を別の世界観でみれて嬉しい。軍服ではなく今っぽい服着てるのが斬新でいい。あと存在が文学みたいな先輩のキャラがすごくいい。